発達障害ってスピリチュアル的に何なんすか?
私の今の苦しみはどういう意味があるの?
私、診断は受けていないのですが、恐らく発達障害(ADHD)と聴覚情報処理障害(APD)を 持っているんじゃなかろうか?と思える症状を抱えながら生きております。
どんな症状かと言うと…
- 声が聴き取りにくい、言われた事がすぐ理解できない、口頭内容をすぐ忘れる
- スケジュール管理が絶望的、ケアレスミスがなくならない
- 集団での作業が完全にダメ
- 生活音がうるさい
- 地図が得意ではない(理解に少し時間がかかる)
- 20代の頃は日中起きてられない事が多かった
(特に興味がないことをやろうとすると突然訪れる強い眠気が凄くて起きてられなかった) - 物をよく落とす、皿を割りすぎて飲食店をクビになりかけた(自分でも止められない)
- 疲れやすい、記憶の反芻がひどい
- 幼少期から20歳くらいまで落ち着きがなかった(授業中のおしゃべりが止まらない)
だいたいこんな感じです。
年齢と共にマシになった部分と、逆にひどくなった部分があり…
生活スタイルを変えたので昔よりはストレスは減り、かなり楽になりましたが…
それでもやはり忘れた頃にこの障害に苦しめられる。
全くゼロではないのです。
「なぜ障害のような物を持って生まれ、今も生かされているのか?」
自分なりに考えた結果を書きました。
(考え方は人それぞれですが、読んで下さると嬉しいです)
発達障害はギフト?個性?
よくスピリチュアル業界の方が言われているのが…
発達障害は神から授けられたギフトなんだよ
発達障害は障害ではなく個性
と言った意見。
ギフトなのか・個性なのか?は置いておいて…
私個人としては、ギフト・個性って言葉で片付けられるのは、辛いし嫌です。
何故ならそのギフト・個性とやらで自殺を考える程に苦しめられていたからです。
そのギフトとやらが、個性とやらが、この日本の社会では凄く生きづらい。
他の星や世界じゃ、そうでもないのかもしれんが。
当の本人からすりゃ…
「何がギフト・個性じゃ。こっちは日々苦しいんじゃ。飯が食えんのじゃ」
です。
飲食店で働けば皿を割り、注文が聞き取れず
(毎回ではなく、周囲の騒音や話す声のトーンにもよる)
客からは「おい!こいつ、やべぇぞ」と指をさされ…
電話に出れば声が聞き取れず、間違い電話に気付かず30分ほど話し…
工場や倉庫だと周りとの意思疎通やうまくできず、暗黙の了解が理解できない。
言った事を忘れる。
いつまでも仕事の流れを理解できない、覚えられない、時間がかかる。
1つの作業や仕事を完全に覚えるまで次の仕事は教えない、という事を徹底してやっていたパチンコ屋だけは、普通に働けていました。
でもあまり、こういう仕事の教え方をしている所は少なかったです。
自分の障害を理解した上で、上手く付き合えてるならいいんですよ。
でもね、自分の障害の特性を理解した上で「自分をこういう風に扱ってください!」って社会にアピールできる人間が、どれだけ今の世の中にいるのか?(恐らく少ないです)
そして、それに対応してくれる企業がどれだけあるのか?
運よくその会社にたどり着けるか?
個性です!と言い通せるほど現実は甘くないです。
私の考える発達障害の意味とは
障害ってなんなのさ?
なんでこんなもん抱えて私は生かされてる?
間引かれた方が良かったよ!!
そんな風に思ったり、色々悩み考えた結果…
私は障害を…
1つの学び(魂の成長に必要な事)
だと思うようになりました。
普通の人が当たり前にできる事が、中々できない人の気持ちが分からない。
自分が出来るから、相手もできると思っている。
そんな人って、いるじゃないですか。
「なんでそれができないの?なんでそれ分かんないの?……わかんないなぁ」
とか言っちゃう人です。
私は、前世でそういう態度を取る人間だったんじゃないかな?と思う事があるのです。
(私は生まれ変わりを信じているタイプの人間です)
もしくは、前世がそうじゃなかったとしても
「障害を持ってる人の気持ちを知りたい。障害というものを体験してみたい」
と思ったのかな?と。
そして今、こうして
「分からない」を「分かる」ために障害を持って生まれて来たんじゃないのかなぁ
と思うわけです。
「当たり前に出来る事ができない」って事がどういう事なのか?を分かるために。
そんで今、こうして苦しんでるわけです。
当たり前に出来る事ができないってこんなに大変で苦しいもんなんだ!理解されないもんなんだ!って、体験・実感して学んでいるわけです。
今、日本って発達障害の方が増えてきてるらしいですよね。発達大国とか言うじゃないですか。
みんな、分からないを分かるために、そうやって生まれて来たのかなぁ、なんて思うのです。
経験する事で、当たり前のことができない人の苦労や気持ち、状態が分かるようになるじゃないですか。
すると、できない人に対して理解や共感が生まれませんか?
少しだけ優しくなれませんか?
これって魂の貴重な学びの1つですよね。
沢山の人がこういう事を体験すればするほど、理解されなかった貴方を理解してくれる人が増えて行く。
より良い世界になって行きませんか?
私個人の考えではありますが…。
LGBT問題なども、こういう事なのかなぁとか思っていたりします。
(失礼な事言ってたらごめんなさい)
障害を持つ人と一緒になる理由(私なりの考え)
もう1つ、おもしろい話なのですが。
私の夫も、幼少の頃は知的な遅れ?のような物があったらしく、他の子が当たり前にできる事が中々できず、それが精神的に苦しくて毎日嘔吐。
保育園に行っていない時期があったそうです。
(まさに引き寄せの法則ですな。私と似てる。似た者同士。)
知的な訓練をしたそうで、今は普通に会社員として働いております。
とまぁ、そんな夫ですが…
私のやらかしに時々イライラしたり声を荒げたりするのです。
コップから水をこぼしたり、皿洗い中にお皿を割ったり、ドアを荒く閉めたり、人の言葉をちゃんと聞き取れてなかったり、物を落としたり…色々とやっちゃう私に対してどうしてもイライラ。
夫も似たような過去を持っているため
「周りと同じにできない、あなたの苦しみはは分かるつもりだよ」
と言ってくれていたのですが、時々…
「なんでできないの?」
「馬鹿なの?」
「さっき言ったやろ」
「もう覚えてないか」
「俺は訓練したらできるようになったよ?」
「障害を理由に逃げてる」
と言った、心無い言葉を言っちゃう時があるのです。
私が障害を理由に逃げてるなら、色んな職種にチャレンジしたりしてませんて。
この仕事ならやれるかもしれない!って可能性を信じて、やった事のない仕事にもチャレンジしたりしてますねん。
郵便局、印刷工場、梱包・出荷倉庫の工場、コンビニ、病院、飲食店、書類整理の派遣、パチンコ屋、デザイン会社(正社員)…
色々チャレンジしてきた。
訓練だって、幼少期に施設で何度もやりましたよ。知育パズルやら謎の受け答えやら。
それで、ある程度は周りに追い付いたとは思います。
それでもまだ周りと差がどうしても出てるんですよ。
もう頑張る事に疲れる、生きてる事の意味が分からなくなるくらいは足掻いたよ。
私はこれに関しては…
これも夫の修行なんだろうなぁ
と思うのです。
当たり前のことが当たり前にできない、この苦しみを分かっているのにも関わらず、こういう態度を取ってしまう。
そんな夫の心の忍耐の修行。
夫は忍耐の修行相手に私を選んだのかなぁ、と。
実際、夫の職場にも知的な障害を持つ人は多数いるようで、ときどき夫が私に愚痴ってくるのですが…
「あなたも来世はそうなる可能性があるから、今こうしてそういう人達から学んでるんだよ」
と言ったら「それは困る」と言ったっきり、しばらく黙り込んでしまいました。
これは逆もあるのでしょうね。
私自身が、今の私のような障害を持つ人の相手になる時が来たとしてもおかしくはないです。
その時、私はどれだけ相手を理解して、受け入れられるか?
私も耐えられなくて、辛辣な言葉を吐いてしまうかもしれません。
(夫の苦労が分からないわけじゃないので、私が夫に謝る事は多いです)
実際私も…
- 言った事を中々覚えてくれない
- 何度も同じ事を聞きに来る
そんな相手に対してイライラする事はあります。
でも「自分もそうだよなぁ、この子は自分だよなぁ。むしろ、自分の方ができてないのに」とか思えるので、あまり怒ったり文句を言ったりする気になれない事が多く、逆に相手から…
「どうしてそんなに優しいの?普通の人ならもう放置だよ?」
「面倒見が凄くいい。教え方が上手いからできるようになってきた。凄いよ」
とか言われた事があります。嬉しいもんです。
逆にね、できるのにしない、サボってるってのが見える時は怒ってしまう時がある。
どうしてできるのに、分かるのに、また聞くの?!しないの?!って。
とまぁ、そんなわけで…
障害ってのは魂の修行・学びなのかなぁと思うのです。
そして、それを支える側も魂の修行として、そういう相手を選んだのかなぁと。
まぁ、これは私個人の「こうなのかな?」という考えです。
これが絶対なんて話ではありません。
最後まで、このよく分からない私の考えを読んでくださり本当にありがとうございます。